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 ぶらり歩き   
 29. 伊豆半島を歩く (1)   平成24年3月24日
 Sさん、Kさんと今年のウォーキングコースをどうするか相談した結果、伊豆半島を一周しようということで意見が一致し、まずは下田街道三島から下田まで2回に分けてのんびり南下することになった。

 三島は東海道の宿場として栄え、伊豆半島に向かう入り口のひとつに当たる。幕末には米国との外交折衝の場となった下田と江戸を行き来する幕府の役人などが、三島を数多く通行したものと想像される。また、米国に渡航を企てた吉田松陰も希望と大志を胸に秘めて、この道を歩いて下田港に向かったのだろう。明治維新の日本の新しい出発の原点ともいえる伊豆半島を巡り、戦後60年余を経過して政治・経済・社会・教育・外交などのすべてのシステムが劣化し、なにかと閉塞感の強い日本の現状を考えてみようと、歩き始める。

 このような思いを胸に収めて、9時に三島駅で待ち合わせして三島大社に向かう。土曜日ということもあり、人手の少ない駅前をのんびりと南に向かい、大鳥居をくぐって境内(写真1)に入る。伊豆国の一宮だけあって境内には参拝者や観光客の姿が多い。結婚式をあげる新郎、新婦そして親族の方が写真撮影のために、総門を塞いでいる。邪魔をしないように門を通り、神門を抜けると、舞殿(写真2)ではまさに別の新郎新婦の結婚式が執り行われているところに出くわす。そして、重要文化財に指定されている拝殿(写真3)でも式の最中で赤い袴を着けた巫女さんの姿が目に飛び込んでくる。最近、神社での結婚式が人気になっていると聞くが、まさにそのとおりの光景である。そして、帰宅後に暦を調べてみると、大安吉日ということがわかり、神社の結婚式では大安が最高の祝い事の日だと痛感する。

 三島大社の記録は奈良・平安時代の古書にも残っているが、創建時期は不明である。しかし、由緒ある三島大社は、何といっても伊豆に流罪となった源氏の御曹司・源頼朝が源氏再興を祈願して、深く崇敬したといわれている。境内には、源頼朝が平家追討の心願を込めて百日の日参をした折に腰をかけて休息したと伝えられる腰掛石(写真4)が祀られている
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写真1 三島大社境内

写真2 三島大社 舞殿

写真3 三島大社 拝殿

写真4 源頼朝 腰掛け石

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